「時」の考察
それは古い古い記憶である
実家の大黒柱には「SEIKO製の柱時計」が掛かっていた。
ゼンマイ式の時計であるため、5日も経つと動かなくなる。
4日目の朝、大きなネジ回しを差し込み20回程バネを巻上げ、NHKの時報に分針を合わせるのは祖父の仕事である。
まだ各人が腕時計など持てなかった時代、大黒柱の上で堂々と時を告げる柱時計は、家族全員の「司令塔」であった。
親子三世代11人の大家族は、共通の「時」を持っていた。
我々の生活の全てを支配する「時間」
これを自由に操れたら、忽ちアメコミのスーパーヒーローだ。
ところが、事もあろうに『時間は無い』などと言い出した「たわけ者」がいる。
これが「群馬のヤンキー」なら、大渇した挙句、泣くまで60進法の勉強をさせて帰すのだが・・・。
言い出しっぺが、ホーキンス博士の再来とまで言われるイタリアの天才物理学者と来ているから始末が悪い。
名前は「カルロ・ロベッツリー」博士
カルロ博士曰く
「時間は物理学的には存在しない。時間とは命に刻まれる関係性である」と
・・・( ,,`・ω・´)ンンン?
これは彼の解く「ループ量子重力理論」から必然的に導き出せる帰結だということなのだが・・。
何を言ってるのか
天才とは、かくも不可解なものである!
先般漸く「アインシュタインの特殊相対性理論」をかじって「時間は重力により伸縮するもの」であることを理解したばかりなのに、今度はその時間が存在しないとは、これ如何に?
もぉぉぉぉ~、本当にこういう難しい事言う人って嫌い!<(`^´)>
書店で立ち読みしている弱い立場で無かったら、この本を叩きつけてくれるのだが・・・。
今日の幸せ
何やら、己の理解を超えた公式群にすっかり興奮してしまった。
イカンイカン・・・。
立ち読みしながらブツブツ呟くオジサンでは女子高生に嫌われてしまうワイ。
物理学ではないが、確かに「時間は相対的」なものである。
卑近な例で恐縮だが、私の友人はよく待合わせに遅刻して来る。
イライラしながら待つ身に、その時間は長い。
逆に、人を待たせて焦る身になると、容赦なく時は過ぎゆくものである。
遊興にふける時間は短く、仕事に費やす時間は長い。
冷静になってみれば、カルロ博士の言葉には相応の含蓄がある。
石を2つ並べてみても、そこに「時」は無い。
時は「命の証」として刻む「関係性の座標」である。
あの時、父母と
あの時、友と
あの時、家族と
あの時、あの人と
あの時・・・・
宏大な宇宙の中の、この星の、この国の、この時代に生まれ
触れ合った全ての人々の「心の座標」に、私の命が刻まれたのであれば、そのことを素直に喜びたい。💛
みんなありがとう。
もう少し一緒に「時」を刻もう!