ささやかな幸せを求めて

旅と食と読書を通して人生のハッピーを追求しています。

その言い方は無いでしょ~!

物は言い様の考察


目下「ぬか床」の育成に夢中である。


近年の発酵ブームに乗り「無印良品」でも特設コーナーを設えるほどの大ヒット商品となっているのが「発酵ぬか床」である。


やや硬質のビニール袋に、既に「発酵済みの糠」が入っていて、好きな野菜を入れたら、チャックを締めてそのまま冷蔵庫へ。


キュウリなどは半日もあれば程よく酸味を湛え、どこに出しても恥ずかしくない、立派な「ぬか漬け」となる。


暗闇で何十億とも知れぬ「乳酸菌」が手をつなぎ、励ましあい、力を合わせて懸命に「発酵」に勤しんでいると思えば愛おしくさえあるのだ。



ぬか床と言えば、臭くて、ニチャニチャした「気持ちの悪い物の頭目」であったが、現代版のぬか床は「臭くない」のである。

私が少し目を離した隙に、技術の日進月歩は「糠業界」にまで及んでいたのであった。


しかし、如何な日進月歩を果たしたと言え、うっかり人前で『なかなか可愛いですよ』なんて言おうものなら、大方の諸氏は先ず目を剥き、良くそんなものをと言いたげに顔をしかめ、『変わってるねぇ~』と呟くのである。(´Д`)


フンっ!<(`^´)>
変わっているのは事実としても、モノには「言い様」ってもんが有る。

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スローフードの王様であり、発酵界のレディGaGaとも言われる日本の誇る伝統食「ぬか漬け」なのだ!

元亀2年9月12日(1571年9月30日)、織田信長が「比叡山延暦寺」に焼き討を掛け、「経」の一文字に到るまで、その悉くを破壊し、焼き尽くした。


大量虐殺に興奮した信長は、自らの手で仏像を打ち砕いて回ったという。


その光景を見た明智光秀が『殿、お止めくだされ!神仏に御座りまするぞぉ~』と諫めるや、信長はキョトンとした顔をして光秀を振り返り『これが神仏・・・? 光秀、これは木じゃ』と言ったとか。( ゚Д゚)


ぬか漬けと信長を無理矢理同じ土俵に上げるのは些か気が引けるが、信長様ぁ~、もうちょっとやり方、言い方考えんと、恨みを買いまっせ~
え、もう居ない?・・・そうでっかぁ~ (´Д`)

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「六天魔王」こと織田信長比叡山では4000人の首を刎ねたともいう。まさに悪鬼の所業である。


昨晩、なんと首都圏に「4度目の緊急事態宣言」が発令された。

また、同時にこの地域で行われるオリンピック競技の「無観客開催」が決定した。

1896 年ギリシャアテネに於いて第1回近代オリンピックが開催されて以来、夏季32回、冬季24回の歴史の中で初めての経験である。


「世紀の貧乏くじ」まさに「泣きっ面に蜂」である。


そんな折も折、「西村康稔・経済再生担当大臣」が記者会見に於いて、『緊急宣言下で酒類の提供を続ける飲食店に対しては、「取引先金融機関」からの働きかけを要請する』と宣ったのである。


いかな法律に基づいた「命令」とは言え、取引先銀行を通じて『お前んとこ、融資引き上げるかんねぇ~』と脅しを掛けたという事である。
融資引き上げとは、企業の「兵糧」を断つことである。


空恐ろしい事言いまんなぁ~。
その物言いは、申し訳ないとか、心苦しいとかの、「配慮」というものが微塵も感じられへんのよぉ・・・。
西村様ぁ~、もうちょっと言い方考えんと、恨みを買いまっせ~(´Д`)

国民はしっかりあなたの心底を見届けましたよぉ~。

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西村大臣、「国民の意」を汲むことなく経済再生が出来るとお思いか?

今日の幸せ


毎度の幕末ネタで恐縮だが、江戸末期、「一刀正伝無刀流」の開祖「山岡鉄舟(てっしゅう)」という鋼の精神を持った剣客が居た。

あの維新三傑西郷隆盛をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る」と言わせたのが山岡鉄舟とされている。


鉄舟はもともと勤王の志士であったが、勝海舟からその高潔なる人物を見込まれ、「徳川慶喜」の天皇への「恭順の意」を伝える為、1868年(慶応4年=明治元年)3月、官軍を率いて江戸に迫る総大将、西郷と駿府静岡市)で最初の直談判に臨んだ。

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「維新三舟」と言われる山岡鉄舟 その高潔なる生き様を貫いた鋼の男 


屯所の門前で衛兵に氏素性を問われるや、『逆賊、徳川慶喜が家来、山岡鉄舟』と名乗ったという。


西郷から、江戸総攻撃を回避するための厳しい諸条件を突き付けられる中、それまで俯いて聞いていた鉄舟が、頬に伝う涙を拭おうともせずにこう言った。


『あるじを守ってこその武士』

『立場が違ったら如何する?いま貴殿が逆の立場にあったとしたら、その一命を賭してでも島津公をお守りするであろう』

『それが武士・・・それが侍であろう』と。


西郷は「始末に困る人でなければ、共に天下の大事を誓い合うわけにはいきもはん」と鉄舟を高く評価したという。


維新後に西郷は請うて、この剣・禅・書に通じた無私無欲の侍、山岡鉄舟を「明治天皇の教育係」に任じたのである。💛


山岡鉄舟、享年51歳の早逝であった。
『しばらく人払いをしてくれんか・・. 昼寝の邪魔になるから』. と言って一同を別室に退席させると、皇居に向かって一礼し「結跏趺坐」して果てたという。



「人は言葉で死に、言葉によって生かされる」



どこかの国のお大臣様、肝に銘じてくだされや!