「流し」の考察
日本人ほど「流す」事が好きな国民はあるまい。
何んでもかんでも「水に流して」しまう、この潔さが大和民族の身上だ。
万年水不足に喘ぐ「ゴビ砂漠」辺りの人達には、とても真似のできるものではない。
流すと言えば、先ず「川」を想像する諸兄も多いのではなかろうか?
年間降水量が多く、山岳地帯が平地の直ぐ側まで迫っている事で、日本の河川には、「短く」・「早く」・「数が多い」という特徴がある。
此処でうつむき気味に頬を染めた諸兄は、少々穿ちすぎである・・・猛省を促したい。(´Д`)
兎に角、日本人は古来より、川と共に生きて来たのである。
ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは
かつ消えかつ結びて
久しくとどまりたるためしなし
鴨長明は晩年、京の洛外に一丈四方(方丈)の小庵をむすび隠棲した。
この「方丈記」は、庵に暮らしつつ世間を観察し書き記した、日本初のヒューマンドキュメントである。
「ゆく川の流れ」の中には、人間の営みの無常が、ため息の出るほど見事に表現されている。
この日本人の「流し」好きは、禅的な「諸行無常感」に強く影響を受けたからに違いない。
「流れ」というものが日本人の生活に深く根差して来た証拠に、実に多くの派生語が生まれた。
「流し」族の内で、流通・ロジスティックス系に進出したグループは、上手く流れに乗って、時代や季節の変動を的確にとらえ、「精霊流し」・「そうめん流し」・「横流し」等という分派を生み、多少の分限者として、今や「流れ界」の顔役となっている。
他方、不器用で上手く流れを掴むことの出来なかったグループは、親を恨み、世をスネ、「着流し」・「垂れ流し」・「島流し」などに身をやつし、お天道様の下を歩くのも憚られる、日影者としての暮らしを強いられている。
「カストリ焼酎」と共に昭和の酒場で主役を張ったのが、「流しのお兄さん」である。
哀愁を帯びたアコースティックギターの音色には、得も言われぬ優しさが有った。
昭和の無骨な酒場には、「流し」と「涙」が実に良く似合う。
今日の幸せ
神社に取り入って「祭り界」に進出を果たした粋でイナセな「流」も有る。
博多総鎮守として知られる櫛田神社は、荒神スサノオを祀った神社である。
奉納神事である博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)は、700年以上の伝統を誇る大祭である。
いくつかの町内ごとに「●●流(ながれ)」という山笠運航チームが編成され、クライマックスの「追い山」で各「流」が「櫛田入り」のタイムを競うという、男達の大運動会である。
「流」を追いかけた、国営放送のドキュメンタリー番組の中に、前年に亡くなった重鎮を弔うシーンが有った。
「水法被」を着けた大勢の男達に曳かれた山車の「舁き山」が、重鎮宅の前にピタリと止まると、山車に乗った長法被の長老が、ねじり鉢巻きを外すなり、朗々と「祝いめでた」を唄い始めた。
祝い目出度の若松様よ 若松様よ
枝も栄ゆりゃ葉もしゅげる
エーイーショウエ エーイショウエー
ショウエイ ショウエイ ションガネ
アレワイサソ エサソエー ショーンガネ
締めは「博多手一本」
『よーおっ』 パン・ パン
『もひとつ』 パン・ パン
『祝うて三度』 パ パン・ パン
この「神事」を終えると何百という数の男達は、再び「舁き山」を担ぎ上げると、怒涛の如く走り去って行ったのである。
何と爽快な「弔い」だろうか💗
「流」衆、粋だねぇ〜!(^^)!
76年前の今日・・・昭和20年8月6日 午前8時15分17秒
B29「エノラゲイ」から人類史上初の「原子爆弾」が広島に投下された。
たった一発の「リトルボーイ」が奪った命は「16万6千人」。
後々どのような理屈を付けようと、これは非戦闘員である一般市民を大量虐殺した、明白なる「戦争犯罪」である。
おぉぉ〜っと、ワシらが日本人である以上、この事だけは「水に流す」訳には参りませんぜ!(´Д`)