ささやかな幸せを求めて

旅と食と読書を通して人生のハッピーを追求しています。

「ヨッシャ!」恋しや

投票所の恐怖



折角の10月最後の日曜日なのに残念ながら関東地方は雨である。('ω')



今日は折しも「第49回衆議院選挙」の投票日でもある。



ネットニュースの速報によると、午前11時時点の投票率は前回衆院選を約1%下回る「11.3%」だという。



日本の有権者数は105,622,759人(1億562万2759人)らしいので、午前11時時点で、ざっと93,687,387人(9千368万7387人)の人達が「あぁ、面倒くさぁ~」と思ったのではないかと推察される。


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多分に自意識過剰が原因であろうが、一挙手に注目される様は「お焼香」に似て極度に緊張する。


因みに私は投票所が苦手ある。
投票所のあの張り詰めた空気が私に極度の緊張を与えるのである。



居並ぶ事務方の区役所職員に「投票券」を渡すと、お姉さん(お兄さんの場合もある)が住民台帳と突合し、正当なる有権者かどうかを確認する。



それが終わると横への移動を促され、今度はお兄さん(お姉さんの場合もある)から「投票用紙」を渡され、投票手順の諸注意を受けた後、漸く記入台へとたどり着けるのである。



「何処の誰それに投票する」という確固たる信念の無い私のような者にとっては、ここからが緊張の連続となる。



記入台の前に貼ってある「候補者名」「政党名」の中から「1名・1党」を選ぶという大変な難作業が待っている。



あーでもない、こーでもないと思考は巡り、一向に「的が絞れない」のである。



刻々と時間が過ぎ、いつしか私の後ろには行列が出来、最前列のおばさん(おじさんの場合もある)の「三角マナコ▲▲」を肩口に感じる頃、私の緊張感はピークに達するのである。



呼吸は浅くなり、全身がカッと熱くなって、額には薄っすらと汗が滲む。



その後も逡巡は続くのであるが、背後の「咳払い」を合図に、私は白いままの投票用紙を二つに畳んで、あたかもこれが自分の意志であったかの如く「白票」を投じるのである。



しかし、私の緊張はまだ解けない。



投票行動の一部始終を無言のまま見つめ続ける「選挙立会人(日当12,600円)」の一団が居るのである。



私に向けられる彼らの視線は厳しい。



緊張のあまり、悪事でも働いたかの如く体が強張り「ナンバ歩き」になりながら、彼らの面前を俯き加減に走り去るのである。



あぁ~、怖かった!(´Д`)



今日の幸せ




1993年。
今から28年前の12月16日、一代の「異能・鬼才の士」が泉下に没した。
内閣総理大臣田中角栄」・・・享年75歳であった。


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右手を高々と上げての「ヨッシャ!」は田中角栄の代名詞でもあった。


越後の雪深い寒村に”馬喰ろう”の長男として生を受けた角栄は、「裏日本」と称された日本海側地域の「貧困と、雪への怨念」を、その後の政治活動の中心に据えた。



『新潟の連中は辛抱強くて働き者だ。その反面雪で苦労しすぎて諦めも早い。逆らってもしょうがない、世の中は成るようにしか成らない。諦観思想が強くてなぁ、だから優柔不断で白黒も明言せず、因循姑息で煮え切らない。これじゃ駄目だと思った』・・・角栄が診立てた、負の県民気質と自己批判である。



正負の属性を色濃く継承した青年角栄が、郷里の前途に強い危機感を持ったのは自然の流れと言える。



「雪を克服して出稼ぎを解消し、裏日本の貧困を追放したい」・・戦後日本政治に登場した「土着型政治家」の目的意識は簡明直截、且つ具体的であった。



田中政治は、後に地元への「利益誘導、金権体質」とマスコミに断罪された。



指摘の半分は事実としても、利益誘導と公共事業の「バラマキ」は表日本と裏日本の格差を無くし、同時に日本という国を、空前の繁栄に導く過程では「善」であった。



『政治家の任務が、時代の要請を実現する事にあるとしたならば、その意味で角栄は「時代の申し子」であった。』(早坂茂三秘書談)


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いまこの人が居てくれたらと思わせる政治家No.1・・・ ヨッシャ恋しや!

ロッキード事件一審有罪判決後初の「第37回衆議院議員選挙」。いわゆる「田中判決選挙」が行われたのが今から38年前の、1983年12月18日のことである。



この日、長岡を中心とする旧新潟三区、32市町村には、「越後のベタ雪」が降りしきった。



投票日に於ける選挙区の有権者数554,377人。投票率85.93%。



田中角栄の得票数は220,761票、何と全有効投票率の46.65%・・・憲政史上空前絶後の得票率であった。



この数字が何を意味するか・・・それは明治維新以降、綿々と続けられた、表日本偏重政治への「百姓一揆」であった。



いま尚、越後に暮らす人々が、その重い口を開くとき、呪文のようにつぶやく言葉がある。



「角サのご恩を忘れちゃなんねぇ・・」💗



  良い政治というものは国民生活の片隅にあるものだ
  目立たず、つつましく国民の後ろに控えている
  吹き過ぎて行く風・・・政治はそれで良い。
  (田中角栄語録より)



日本全国「税金」が一律である以上、国民はどんなへき地・寒村に在っても一定の行政サービスを受ける権利が有のだ。



またそうでなければ国民生活の多様性は保てない。



田中角栄がそうであったように、政治家の正当な評価には四半世紀の「時」を待たねばならない。



我々は「バラマキ合戦」と言われようが、国家国民の将来を見据え、信念をもって「官僚を御する」政治家を待望して止まない。



今後の政治がどう流れて行くのか・・・ひとまず投票結果を待ちたい。