ささやかな幸せを求めて

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哀愁の追分

江差の考察


♪大島小島のあい通る船はヤンサノエー 江差通いかなつかしや
 北山おろしで行く先ゃ曇るネー 面舵頼むよ船頭さん ♪



読者諸兄には殆どなじみのない歌詞だと思うのだが、これぞ民謡の王様と称される「江差追分」前唄の一節である。



この歌詞を見て大きく頷き、膝を打ったそこの諸兄はかなりの「民謡通」と見ましたが如何でしょうか?


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「正調・江差追分」は歌い継がれ分化し、民謡界の巨人となった。

父がまだ家長として現役を張っていた頃、親類縁者が集った小宴で十八番(オハコ)にしていたのがこの「江差追分」であった。



本人は十八番と称して、宴たけなわで披露したがるのであるが、母に止められ、祖母にたしなめられして、どんどん先送りになり、胡坐をかいた父が意を決し、うつむき加減に「♪大島小島・・・」と始めると、それがお開きの合図となるのであった。



身体を前後に揺らしながら、皺枯れた声で唄う父の江差追分は、子供心にも『下手だなぁ~』と思った程で、おそらく最後まで聞き遂げた者は居ない。



誰も居なくなった宴席で江差追分はさらに哀調を帯び、父が健やかな眠りに付くまで延々と続くのであった。



一説によると江差追分の起源は、長野県の古い馬子唄(小諸馬子唄)にあるのだという。



それが盲目の旅芸人集団・瞽女(ごぜ)らによって、越後へ伝わり「越後追分」となり、さらに北前船の船乗りによって蝦夷地に伝えられ、北国ならではの哀調が加わり、「江差追分」へと進化して行ったようである。

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「旧檜山爾志郡役所」は修復され今や江差民俗資料館として復活


現在の北海道爾志郡(にしぐん)江差町には旧檜山爾志郡役所(ヒヤマニシグンヤクショ)という貴重な歴史的建造物が在る。



アーリーアメリカン調の洒落た建物は北海道有形文化財として4億6千万円分の修復を受け、現在は「江差町郷土資料館」として一般公開されている。



実は、この郷土資料館の前庭に「嘆きの松」という、なにやら謎めいた名を持つ松の古木が在る。

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開陽丸が沈むさまを見ていた土方歳三のたまたま傍らに在ったが為に凹殴りにされた「土方歳三嘆きの松」。嘆きたいのは松の方だったに違いない。

明治元(1868)年、会津会戦に敗れた新選組副長「土方歳三」と幕府軍艦奉行「榎本武揚(エノモトタケアキ)」とは蝦夷地を決戦の地と定め、徳川幕府最強の軍艦「開陽丸」を率いて江差に上陸した。



しかし幕府軍には既に天運無く、同年11月15日開陽丸は日本海に荒れ狂う暴風雨により江差沖で座礁・沈没することになる。



開陽丸沈没の知らせが届くや、土方と榎本は急ぎ幕府軍本陣の順正寺(現・東本願寺別院)に向かう。



途中高台に在る当時の檜山奉行所(ヒヤマブギョウショ)前から、沖に沈む「開陽丸」を目にした土方は、傍らの「松」に拳を叩きつけながら嘆息したという。



この時土方は、沈み逝く開陽丸に「武士の墓標」を見ていたのであろうか・・・。



それは戊辰戦争の最終決戦地「五稜郭」にて土方歳三が34年の生を散らす248日前の出来事であった。




今日の幸せ


つくづく「日本人に生まれて良かったぁ~」と思う瞬間がある。



天才小説家「司馬遼太郎」氏の作品に触れることも、まさにその時である。



以前、当ブログでも「峠」という作品をご紹介させて頂いた。



司馬遼太郎の数多(アマタ)ある作品の中でも、出世作竜馬がゆく」と共に、圧倒的な女性人気を誇るのが新選組鬼の副長土方歳三を描いた「燃えよ剣」である。

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司馬遼太郎にしては短編の部類に入るがダントツの女性ファン数を誇る。


徳川家の天領である日野村の百姓として生まれた「歳三」であるが、「天然理心流」試衛館の四代目宗家を継いだ「近藤勇」との出会いが、この男の本能を覚醒させてゆく。


何故日本人はこれほど土方歳三という男に惹かれるのであろうか・・・。
優し気な風貌に秘めた激烈な「士魂」は一種「風圧」さえ感じさせる。


土方歳三は武士の時代が壊されてゆく過程で、誰よりも武士らしく生きたラストサムライとも言えよう。💗


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土方歳三」この容貌からは想像もできないほどの胆力を持った壬生の蒼き狼

新選組1863年の創設から1869年6月20日、土方の死をもって迎える崩壊まで僅か6年しか存在しなかった組織である。



しかし、幕末の歴史は「誠」の旗の下に結集した鉄の軍団「新選組」無くしては語れない。



燃えよ剣」の終局で、包囲する官軍兵に対し、馬上の土方が愛刀「和泉守兼定(イズミノカミカネサダ)」を抜き放ち「新選組副長、土方歳三」と名乗りを上げ、突撃する場面がある。


幕府の中ではもっと気の利いた肩書が有ったにもかかわらず、土方は最後の最後まで盟友近藤勇から託された「新選組の副長、土方歳三」であることに拘ったのだ。



死を決した男が、最後までそう有り続けたいと願った「盟友との絆」が深く胸を打つ。



なんと、この秋は「峠」に続き「燃えよ剣」も映画上映されると聞く。



これを機に明治維新という「日本史の大転換点」の中で、侍という世界に冠たる精神的昇華を果たした男たちが、何を考え、どう生きたかをもう一度振り返り、自分の生き様と重ねてみたい。



時代を追うな、夢を追え!