ささやかな幸せを求めて

旅と食と読書を通して人生のハッピーを追求しています。

叫べども届かず。

「きゃぁぁぁぁ~」の考察


女性の運転は賑やかである。


男性のそれとは随分趣を異にする。


『あ、信号が変わる、早く早く! あぁ~ほら、変わっちゃった! 』


『あ、●●さんだ。あの人って面白い人ですよねぇ~、でも私はちょっと苦手だなぁ、挨拶する時、目が笑っていないんだもん』



次から次へと言葉が飛び出し、助手席で聞いていると、さながら街中のライブ中継のようだ。


感性豊かと言っていいのか、今まさに一緒に見ている事象を、更に実況してみせるのである。


もしかして「目と口が直結」しているのではないかと、思いつつ、そっと横顔を窺がう。(-ω-)



TVドラマなどを一緒に観ようものなら、この忙しいライブ中継に加えて、ドラマの進展への憶測やら、『あの人怪しいなぁ~、そう思いませんか?』


質問疑問が次々飛び出した挙句、終いには涙など流しながら、『あー面白かった、来週が楽しみだわぁ~』と来る。



この人は一体いつTVを観ていたんだろうか?・・・『ちょっとぉ、お煎餅のかけらがお口に付いてますよ!』



余りにも賑やかにマルチタスクをこなす異性人を見て、男の口は益々重くなるのである。

 
恐る恐る、どうしてそんなに賑やかなのかを尋ねてみたところ、『えぇ!私何か言ってました?』と来た。


考えた挙句にやっと開いた口なのに、今度はその口が塞がらないのであった。
(´Д`)

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特定のテーマに拘らない女性たちの会話は延々と続くのである。


7/23日、東京は梅雨明け宣言以降、連日のピーカンで35℃を超える猛暑が続く。


今日は東京オリンピック開会式の日である。


多少思うところあって「千駄ヶ谷」を目指した。


ここは19歳の春、新聞奨学生として初めて東京の地を踏んだ思い出の場所である。


紅顔の美少年も既に人生の黄昏時を迎え、今や地下鉄の階段を上るにも「肺」を鳴らす始末。

人生は一瞬である。


今日の目的はこの人生の出発点で「もう一度ブースターに点火したい」との思いからである。



12時25分着。駅前から新国立競技場にかけては、既に黒山の人だかりであった。


後10分もすればこの上空にお目当てのものがやって来る。

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ブルーインパルスは米国のサンダーバーズをモデルに創設された日本のトップガン


12時45分。俄かに周囲がざわつき始め、「きゃぁぁぁ~」という女性たちの絶叫の上を、見事な六機編隊を組んだ「青い衝撃」が、五色の帯を引いて飛び去った。



その正式名称は「第四航空団飛行群第11飛行隊」
通称「ブルーインパルス」という。



男性諸氏の「おぉぉぉぉ~」という、声ともつかぬ唸り声は、瞬く間に女性達の「きゃぁぁぁ~」の大合唱に打ち消される。



この「きゃぁぁぁ~」は、誰かに聞かせるのが目的ではないようである。


「的」は遥か上空の、叫べど届かぬ雲上の人。


うっとりと空を眺めていたと思いきや、娑婆への帰還は「光速」である。


『あら、カッコ良かったわぁ~』、 『ジェット機って綺麗よね』、『あれきっとエリートよ』、『今日は晴れてよかったわ』、『あの人の日傘邪魔よねぇ』、『お茶して帰りましょ』、『信号が青の内に渡りましょ~』


正気に戻った女性たちの喧しい実況中継の中、肩を落とした男性諸氏は、口を開けたまま帰路に着くのであった。(´Д`)


今日の幸せ


ブルーインパルスパイロットは、勿論我が国航空自衛隊の誇る、選りすぐりの精鋭達である。


チームでの任期は三年
一年目は後部席座席にて訓練待機
二年目から展示飛行を行い
三年目は教官を兼ねての搭乗となる。


こうして長い期間をかけて世界に誇れる技術を習得していくのである。

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特攻隊員に一輪の花を手向ける女学生たち。何と悲しい時代であったのか。

76年前の夏、鹿児島の「知覧」から、1036名のまだ童顔の少年達が沖縄を目指して出撃して行った。


飛行技術の習得もままならぬ「30時間」という即成訓練で、漸く離着陸が出来るようになると直ぐに特攻命令が出る。


一式戦闘機「隼」に「250キロ爆弾」を抱えた、帰るあてなき片道飛行である。


パイロットには、三度「引返したい」という衝動に駆られる時があると言う。


特攻を命じられたその晩と、愛機のタラップに足を掛けたとき。
そして美しき薩摩富士「開門岳」を通過する時だという。


隊長機の合図で、全機が一斉に「翼を振り」郷里の山河に別れを告げると、再び編隊を整え一路戦地「沖縄」へ。


叫べども届かぬ故郷を、振返り、振返り・・・。


最後の特攻は昭和20年7月19日であった。


  母様、今何も言う事はありません。
  最期の、又最初の孝行は笑って征きます。
  泣かずに、よくやったと佛前に団子でも具えてください。
             
 (知覧特攻平和会館:特攻隊員の遺書より)


東京に2度目のオリンピックがやって来た。


果たして私たちは、あの日沖縄の海に散った若者達に恥じない国を作っているのだろうか?


平和の祭典を機に、再び問うてみることも悪くない。


また「鎮魂の夏」が来た。