ささやかな幸せを求めて

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胸に手を当てて!

「不思議の国」の考察

お盆からの大雨が一段落したと思いきや、ここ数日はモワモワとした不快な暑さが列島を包み込んでいる。


そんな中、パラリンピックで来日した外国人記者が本国に送った「日本レポート」が大変興味深い。


『体温と等しい外気温に、90%を超える湿度が追い打ちを掛ける・・・日本の夏はひたすら過酷であり、この環境下で競技を行わなければならないアスリートは本当に気の毒である』


『しかし日本は、オリンピックに備え世界に類を見ない飲料供給システムを確立、多くの大会関係者は様々な飲料を簡単に入手出来るようになり喜んでいる』と・・・。


何のことは無い・・・記者は全国何処に行っても無数にある自販機に驚き、喜び、興奮してレポートしていたのだ。( ゚Д゚)


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日本の誇る小型商店「自販機」生鮮食料品から下着に至るまで、守備範囲は広い

日本国内には「自販機」と呼ばれるベンダーマシンがなんと540万台も有り、そのうちの約半数が飲料用のもだという。


自販機経由で発生する売上げは年間約7兆円・・・こうなると確かに日本の「便利」の一端を担う重要な社会インフラとも言える。


この自販機の異常なほどの普及は日本独自のものである。
諸外国にも、自販機は有ることは有るが、街中でお目に掛ることはほぼ皆無である。


これはもう国民性に由来するもので、諸外国に於いて恐らく自販機ビジネスは成立しないのではあるまいか。


理由は至極単純で、そこに在る「金・品」若しくは「自販機自体」が盗まれるからである。


人民達が太極拳に勤しむ公園で、ようやく見つけた自販機が鉄格子に入れられ、太い鎖に繋がれている姿を見ると、我々日本人は思わず駆け寄り『すぐに出してやるから、もう少しの辛抱だ!』などと叫んでしまうのである。(´Д`)

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国史上初めての統一国家「秦」を創った「趙政」は自らを「始皇帝」と名乗った


物が盗まれない国。

落した財布がそのまま戻る国。

女性が深夜に一人歩きしても無事帰宅出来る国。

おそらく世界で唯一無二であろう、高次元の安全性をいとも簡単に確保してみせる国、「日本」


この国民性は一体何処から来たものだろうか。


此処から、話は恐ろしく歴史を遡上するが、ルーツを探る作業であるためお許し願いたい。


日本書紀古事記などの日本史を紐解いてゆくと、「秦氏」と呼ばれる不思議な一族に遭遇する。


「秦」とい書いて「ハタ」と読む。・・・っと、ここで膝を打った諸兄には、ささやかながら敬意を表したい。


この一族の中心人物は「弓月君(ユミツキノキミ)」という大変優雅な名前をお持ちだが、やり遂げたことは大胆で、「応神天皇」14年(283年)に半島「百済」から120県4万人の民を率いて日本に渡来し、「帰化」したのである。


このお方は、なんとあの「秦(シン)の始皇帝」の子孫であったが為、帰化に当たって出自である「秦」を名乗ったのだという。


始皇帝一族は秦の崩壊後、現在の新疆ウイグル自治区に在る「弓月城大街」辺りに身を潜めていたらしいが、理想の国家像を求め、長い年月をかけて調査した結果、当時「扶桑(フソウ)国」と呼ばれる日本に渡ることを決意したようだ。


「扶桑」とは、中国から見て東方の果て、日出る処に立つ伝説の「神木」を言い、羨望を込めて「倭(ワ)国」の別称となっていた。


始皇帝はあの大中華を「法」を以って治めようとした。
しかし、これが甘かった。


焚書坑儒」などの思想統制を行い、苛烈な刑の執行を課して順法を迫ったが、根付くことは無かった。


現在の中国に於いてさえも「上に政策あれば、下に対策あり」と言われるほど、人民はしたたかである。


栄華を極めた始皇帝の一族が、何故に極東の島国を目指したのか・・・。


この謎に対する考察は、後段に譲るとして、秦氏の「その後」が気になって眠れない方の為に蛇足を加えたい。


百済」から移住した民は、建築、土木、精錬、養蚕、織物等々、当時大陸が持っていた先端技術の技術者集団であり、大和朝廷の発展に大きく貢献した。

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弥勒菩薩は釈迦入滅の56億7千万年後に現れ衆生を救済する。救済策は現在考案中!

聖徳太子の懐刀として名を馳せた「秦河勝(ハタノカワカツ)」は「弓月君」の末裔である。


諸説あるが、京都「太秦(ウズマサ)」は聖徳太子秦氏から取った地名だという。
太秦に在る「広隆寺」は秦氏菩提寺でもある。


京都を戦火から救ったとされる我国の国宝第一号、広隆寺の「宝冠弥勒」は様式や材質から見ても、明らかに半島由来の物である。


この奇跡の仏像も、秦氏存在と無縁であるとは思えない。


今日の幸せ


日本書紀によると第14代「仲哀(チュウアイ)天皇」8年に、弓月君の父である「巧満王」が渡来し、朝廷に養蚕の蚕の種を献上したとある。


そこで巧満王が見たものは、「法治」でも「人治」でもない、各人の「自己責任」を求めるという、大和民族独特の極めて高度な統治の姿であったという。


何が「正義」か。
その判断は歴史、伝統、文化という蓄積された「価値観」から生まれるものである。


自分のやったことは「正しい事」なのかを、自分自身に問うてみる。


その結果の「責任」については自分自身で決する。

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日本人は「結び」好き。紙縒りなどという儚いものに願いを託すのだ。

古来ヨーロッパ及びアジア大陸で発達した「鍵」文化は、日本に於いては殆ど発達しなかった。


商家で帳場を閉めるにあたっても、金品を金庫に入れ厳重に錠前を掛けるという事はせず、閉めた証として手文庫に紙縒(コヨリ)を巻くだけであったという。


盗もうと思えば、誰でも簡単に盗めてしまう。
しかし、その小さな紙縒(コヨリ)が人の心に問いかけるのだ。


あなたのやっていることは正しい事ですか・・?
「胸に手を当てて」考えてください💗


父王の語る「扶桑国」に理想の国家像を見出した「弓月君」は、戦乱に明け暮れる母国を捨て、「和」の国へと渡来した。


国家国民の「モラル」は100年や200年で醸成されるものではない。


千年、二千年という歴史、伝統、文化に裏打ちされた「正義」という価値観が国民人一人一人に醸成されていればこそ。


当たり前の如く「落とした財布」が戻って来るのである。



 敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山櫻花



江戸中期の国学者「本居 宣長(モトオリ ノリナガ)」の「大和心」を詠んだ歌である。



GDPで抜かされようと、多少政治家のレベルが低かろうと、隙あらば他国の領土を掠め取ろうなどというメンタルは、大和民族にはございませ~ん!(´Д`)