ささやかな幸せを求めて

旅と食と読書を通して人生のハッピーを追求しています。

流しまっせ!

「流し」の考察


日本人ほど「流す」事が好きな国民はあるまい。


何んでもかんでも「水に流して」しまう、この潔さが大和民族の身上だ。
万年水不足に喘ぐ「ゴビ砂漠」辺りの人達には、とても真似のできるものではない。


流すと言えば、先ず「川」を想像する諸兄も多いのではなかろうか?


年間降水量が多く、山岳地帯が平地の直ぐ側まで迫っている事で、日本の河川には、「短く」・「早く」・「数が多い」という特徴がある。


此処でうつむき気味に頬を染めた諸兄は、少々穿ちすぎである・・・猛省を促したい。(´Д`)


兎に角、日本人は古来より、川と共に生きて来たのである。

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奥入瀬川」青森の至宝である。十和田湖から流れ出る水は鮮烈この上ない。


  ゆく河の流れは絶えずして、
  しかももとの水にあらず
 
  よどみに浮かぶうたかたは 
  かつ消えかつ結びて
  久しくとどまりたるためしなし


鴨長明は晩年、京の洛外に一丈四方(方丈)の小庵をむすび隠棲した。
この「方丈記」は、庵に暮らしつつ世間を観察し書き記した、日本初のヒューマンドキュメントである。


「ゆく川の流れ」の中には、人間の営みの無常が、ため息の出るほど見事に表現されている。


この日本人の「流し」好きは、禅的な「諸行無常感」に強く影響を受けたからに違いない。


「流れ」というものが日本人の生活に深く根差して来た証拠に、実に多くの派生語が生まれた。


「流し」族の内で、流通・ロジスティックス系に進出したグループは、上手く流れに乗って、時代や季節の変動を的確にとらえ、「精霊流し」・「そうめん流し」・「横流し」等という分派を生み、多少の分限者として、今や「流れ界」の顔役となっている。



他方、不器用で上手く流れを掴むことの出来なかったグループは、親を恨み、世をスネ、「着流し」・「垂れ流し」・「島流し」などに身をやつし、お天道様の下を歩くのも憚られる、日影者としての暮らしを強いられている。

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昭和の酒場には村田英雄の「人生劇場」がこだまする


「カストリ焼酎」と共に昭和の酒場で主役を張ったのが、「流しのお兄さん」である。


哀愁を帯びたアコースティックギターの音色には、得も言われぬ優しさが有った。


昭和の無骨な酒場には、「流し」と「涙」が実に良く似合う。


今日の幸せ


神社に取り入って「祭り界」に進出を果たした粋でイナセな「流」も有る。


博多総鎮守として知られる櫛田神社は、荒神スサノオを祀った神社である。
奉納神事である博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)は、700年以上の伝統を誇る大祭である。


いくつかの町内ごとに「●●流(ながれ)」という山笠運航チームが編成され、クライマックスの「追い山」で各「流」が「櫛田入り」のタイムを競うという、男達の大運動会である。

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7/1日から半月間、博多の男衆は「漢」になる。カッコいいぜ!


「流」を追いかけた、国営放送のドキュメンタリー番組の中に、前年に亡くなった重鎮を弔うシーンが有った。


「水法被」を着けた大勢の男達に曳かれた山車の「舁き山」が、重鎮宅の前にピタリと止まると、山車に乗った長法被の長老が、ねじり鉢巻きを外すなり、朗々と「祝いめでた」を唄い始めた。


  祝い目出度の若松様よ 若松様よ
  枝も栄ゆりゃ葉もしゅげる
  エーイーショウエ エーイショウエー
  ショウエイ ショウエイ ションガネ
  アレワイサソ エサソエー ショーンガネ


締めは「博多手一本」
  『よーおっ』 パン・ パン
  『もひとつ』 パン・ パン 
  『祝うて三度』 パ パン・ パン


この「神事」を終えると何百という数の男達は、再び「舁き山」を担ぎ上げると、怒涛の如く走り去って行ったのである。


何と爽快な「弔い」だろうか💗
「流」衆、粋だねぇ〜!(^^)!


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この40秒後広島は巨大なキノコ雲に覆われた。人類史に記すべき汚点である。。


76年前の今日・・・昭和20年8月6日 午前8時15分17秒


B29「エノラゲイ」から人類史上初の「原子爆弾」が広島に投下された。


たった一発の「リトルボーイ」が奪った命は「16万6千人」。


後々どのような理屈を付けようと、これは非戦闘員である一般市民を大量虐殺した、明白なる「戦争犯罪」である。


おぉぉ〜っと、ワシらが日本人である以上、この事だけは「水に流す」訳には参りませんぜ!(´Д`)

叫べども届かず。

「きゃぁぁぁぁ~」の考察


女性の運転は賑やかである。


男性のそれとは随分趣を異にする。


『あ、信号が変わる、早く早く! あぁ~ほら、変わっちゃった! 』


『あ、●●さんだ。あの人って面白い人ですよねぇ~、でも私はちょっと苦手だなぁ、挨拶する時、目が笑っていないんだもん』



次から次へと言葉が飛び出し、助手席で聞いていると、さながら街中のライブ中継のようだ。


感性豊かと言っていいのか、今まさに一緒に見ている事象を、更に実況してみせるのである。


もしかして「目と口が直結」しているのではないかと、思いつつ、そっと横顔を窺がう。(-ω-)



TVドラマなどを一緒に観ようものなら、この忙しいライブ中継に加えて、ドラマの進展への憶測やら、『あの人怪しいなぁ~、そう思いませんか?』


質問疑問が次々飛び出した挙句、終いには涙など流しながら、『あー面白かった、来週が楽しみだわぁ~』と来る。



この人は一体いつTVを観ていたんだろうか?・・・『ちょっとぉ、お煎餅のかけらがお口に付いてますよ!』



余りにも賑やかにマルチタスクをこなす異性人を見て、男の口は益々重くなるのである。

 
恐る恐る、どうしてそんなに賑やかなのかを尋ねてみたところ、『えぇ!私何か言ってました?』と来た。


考えた挙句にやっと開いた口なのに、今度はその口が塞がらないのであった。
(´Д`)

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特定のテーマに拘らない女性たちの会話は延々と続くのである。


7/23日、東京は梅雨明け宣言以降、連日のピーカンで35℃を超える猛暑が続く。


今日は東京オリンピック開会式の日である。


多少思うところあって「千駄ヶ谷」を目指した。


ここは19歳の春、新聞奨学生として初めて東京の地を踏んだ思い出の場所である。


紅顔の美少年も既に人生の黄昏時を迎え、今や地下鉄の階段を上るにも「肺」を鳴らす始末。

人生は一瞬である。


今日の目的はこの人生の出発点で「もう一度ブースターに点火したい」との思いからである。



12時25分着。駅前から新国立競技場にかけては、既に黒山の人だかりであった。


後10分もすればこの上空にお目当てのものがやって来る。

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ブルーインパルスは米国のサンダーバーズをモデルに創設された日本のトップガン


12時45分。俄かに周囲がざわつき始め、「きゃぁぁぁ~」という女性たちの絶叫の上を、見事な六機編隊を組んだ「青い衝撃」が、五色の帯を引いて飛び去った。



その正式名称は「第四航空団飛行群第11飛行隊」
通称「ブルーインパルス」という。



男性諸氏の「おぉぉぉぉ~」という、声ともつかぬ唸り声は、瞬く間に女性達の「きゃぁぁぁ~」の大合唱に打ち消される。



この「きゃぁぁぁ~」は、誰かに聞かせるのが目的ではないようである。


「的」は遥か上空の、叫べど届かぬ雲上の人。


うっとりと空を眺めていたと思いきや、娑婆への帰還は「光速」である。


『あら、カッコ良かったわぁ~』、 『ジェット機って綺麗よね』、『あれきっとエリートよ』、『今日は晴れてよかったわ』、『あの人の日傘邪魔よねぇ』、『お茶して帰りましょ』、『信号が青の内に渡りましょ~』


正気に戻った女性たちの喧しい実況中継の中、肩を落とした男性諸氏は、口を開けたまま帰路に着くのであった。(´Д`)


今日の幸せ


ブルーインパルスパイロットは、勿論我が国航空自衛隊の誇る、選りすぐりの精鋭達である。


チームでの任期は三年
一年目は後部席座席にて訓練待機
二年目から展示飛行を行い
三年目は教官を兼ねての搭乗となる。


こうして長い期間をかけて世界に誇れる技術を習得していくのである。

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特攻隊員に一輪の花を手向ける女学生たち。何と悲しい時代であったのか。

76年前の夏、鹿児島の「知覧」から、1036名のまだ童顔の少年達が沖縄を目指して出撃して行った。


飛行技術の習得もままならぬ「30時間」という即成訓練で、漸く離着陸が出来るようになると直ぐに特攻命令が出る。


一式戦闘機「隼」に「250キロ爆弾」を抱えた、帰るあてなき片道飛行である。


パイロットには、三度「引返したい」という衝動に駆られる時があると言う。


特攻を命じられたその晩と、愛機のタラップに足を掛けたとき。
そして美しき薩摩富士「開門岳」を通過する時だという。


隊長機の合図で、全機が一斉に「翼を振り」郷里の山河に別れを告げると、再び編隊を整え一路戦地「沖縄」へ。


叫べども届かぬ故郷を、振返り、振返り・・・。


最後の特攻は昭和20年7月19日であった。


  母様、今何も言う事はありません。
  最期の、又最初の孝行は笑って征きます。
  泣かずに、よくやったと佛前に団子でも具えてください。
             
 (知覧特攻平和会館:特攻隊員の遺書より)


東京に2度目のオリンピックがやって来た。


果たして私たちは、あの日沖縄の海に散った若者達に恥じない国を作っているのだろうか?


平和の祭典を機に、再び問うてみることも悪くない。


また「鎮魂の夏」が来た。

おらが殿様

不自由の考察

妙な国である。
国体を構成する「宮内庁」という公的機関が、広く一般国民から「短歌」を募り、「歌会始」と称して一陽来復の新春を寿ぎ、歌の腕前を競い合うという。


世界広しと言えども、これほど優雅に春を祝う国は有るまい。


歌会始と聞くと、僅かながらも胸をざわつかせるものが有る。


皇居歌会始とは比べるべくも無いが、我が父は半世紀もの間、市の広報に愚にもつかない「川柳」を投稿し続けて悦に入っている。


そのくだらなさで一頭群を抜く出来栄えに、家族は都度肝を冷やし、思い止まるよう説得するが、既に耳は遠く、独断と専行は続くのである。

毎月、「市報」の配布から暫くの間、近隣の目は冷たい。(-ω-)


ところが無責任な近所のお婆ちゃん達が老人会の場などで『新聞に掲載されるなんて・・・あんた生半可な知識人じゃないわよぉ~』等と持ち上げたものだから、もう大変。

火に油を注ぐとはこの事である。


ある年から『中央進出を図る』とばかりに、なんと歌会始への応募を始めたのである。


歌会始のお題には、毎年全国から2万首ほどの短歌が寄せられ、そこから十首が選考されるのだという。


選考結果発表に於いても、まあそこは流石の宮内庁
市報のようにいきなり、面白半分の血祭掲載をするようなことはせず、「来年もどうぞ応募してくださいね」という趣旨の「落選通知」が静かに届けられるのみである。


十首に選ばれた人は、新春宮内庁に招待され、恐れ多くも今上天皇の御前に於いて、「ご詠進の誉」を得る事になる。



従軍歴「半年」の生き残り「二等兵」は、憧れの天皇陛下御目見えする為、今日も制作に余念がない。

日本の伝統文化の極み、宮中歌会始の儀

天皇陛下は不便である。


日本国憲法第1章第1条に、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定され、その行動、言動は「皇室典範」というマニュアルにより厳格なる制限を受けている。



平たく言うと天皇陛下とは、何を言われても「反論を禁じられ」、「行動の自由も無く」、唯々法律内に規定された「国事行為」を行う事を定められた人。言い換えれば、世界一不自由な生活を強いられた「覚悟の人」という事が出来る。


食べ物一つ取っても、ご自分の「好き嫌い、旨い不味い」の評価は、一切なさらない。

ご自分の発言で優劣を生じさせてはならないというご配慮からだ。


お心の内を決して語らない「あーそう、あーそう」という、陛下のあの相槌も「法を順守する」という、強いお心ゆえのものである。



神武以来、長い天皇制の歴史の中で、我々が最も親しんだ「平成天皇・皇后両陛下」程、国民に寄り添ってくれた方は居ない。


噴火した離島に住む、百数十名への被災お見舞いの際に、ご宿泊ホテルの周りを島民たちが喜びの「提灯行列」を行った。


当然ホテルの中から島民の行列に手を振ってお応えになるのかと思いきや、両陛下は島民と一緒に提灯を振って、行列に参加されたのであった。


また、福島の避難所を慰問した際には、先導する市長の後ろから、両陛下がスリッパも履かずに冷たい床を歩き、被災者の前に膝を折られた。


どこまでも、どこまでも国民に寄り添う姿を貫く、「世界一不自由」な両陛下の「不動の信念」に、多くの人が涙したのである。

天皇陛下のお姿に、どれだけの被災者が救われるだろうか。

今日の幸せ

第二次大戦の激戦地の一つに、フィリピンの「モンテンルパ」がある。


昭和27年に「モンテンルパの夜は更けて」という歌謡曲が大ヒットした。
何とも哀愁漂うこの歌をご存知の諸氏も居られるかと思う。


此処で膝を叩いて大きくうなずいた諸兄の為に、歌詞をご用意しましたので、さぁご一緒に~♬(^^♪


  モンテンルパの 夜は更けて
  つのる思いに やるせない
  遠い故郷 しのびつつ
  涙に曇る 月影に
  優しい母の 夢を見る
 
  モンテンルパに 朝が来りゃ
  昇るこころの 太陽を
  胸に抱いて 今日もまた
  強く生きよう 倒れまい
  日本の土を 踏むまでは


この歌はフィリピン、マニラ郊外の「モンテンルパ刑務所」に収監され、死刑判決を受けていた日本兵の作った歌である。

身を盾にして日本人死刑囚に特赦を与えたキリノ大統領ありがとうございました


この刑務所に収容されていた日本人死刑囚は105名。


家族、友人、支援者等は時の大統領「エルピディオ・キリノ」に対して、繰り返し、繰り返し「助命嘆願」を行うが、事はそれほど簡単な事ではなかった。


フィリピンはこの戦いに於いて、軍人57,000人、一般国民実に100万人という膨大な犠牲者を出しており、安易な妥協は何よりも国民感情が許さなかった。


キリノ大統領自身も、妻子4名、肉親5名を失っていたのだ。


島根県出身の画家「加納莞蕾(かんらい)」氏の288通にも上る『許し難きを許して、憎しみの連鎖を断ち切ってください』という嘆願書に心動かされたキリノ大統領は、1953年6月27日、105名の日本人死刑囚全員の釈放を決めた。



自身がアメリカに潰瘍の手術に渡る日の朝であった。
生きてフィリピンに戻れない可能性が有るならば、己の信念を貫くべきと判断し、議会を通さなくて済む「大統領特赦」を行ったのである。


時は移ろい、平成27年1月26日、天皇皇后両陛下は残された慰霊の地、フィリピンのマニラ郊外にあるモンテンルパでの式典に臨まれた。


式典に出席したキリノ大統領のお孫さん始め、大恩あるフィリピン国民に対し、美智子様は「短歌」に込めて万感の謝意を表したのであった。💛




 『許し得ぬを許せし人の名と共にモンテンルパを心に刻む』



自由な言葉を封じられた「天皇」という職責に在って、唯一自由にお心を語れる短歌という手段をを以って・・・。



もぉぉ~、美智子様ぁ~! 泣かせんといて下さい (T_T)





その言い方は無いでしょ~!

物は言い様の考察


目下「ぬか床」の育成に夢中である。


近年の発酵ブームに乗り「無印良品」でも特設コーナーを設えるほどの大ヒット商品となっているのが「発酵ぬか床」である。


やや硬質のビニール袋に、既に「発酵済みの糠」が入っていて、好きな野菜を入れたら、チャックを締めてそのまま冷蔵庫へ。


キュウリなどは半日もあれば程よく酸味を湛え、どこに出しても恥ずかしくない、立派な「ぬか漬け」となる。


暗闇で何十億とも知れぬ「乳酸菌」が手をつなぎ、励ましあい、力を合わせて懸命に「発酵」に勤しんでいると思えば愛おしくさえあるのだ。



ぬか床と言えば、臭くて、ニチャニチャした「気持ちの悪い物の頭目」であったが、現代版のぬか床は「臭くない」のである。

私が少し目を離した隙に、技術の日進月歩は「糠業界」にまで及んでいたのであった。


しかし、如何な日進月歩を果たしたと言え、うっかり人前で『なかなか可愛いですよ』なんて言おうものなら、大方の諸氏は先ず目を剥き、良くそんなものをと言いたげに顔をしかめ、『変わってるねぇ~』と呟くのである。(´Д`)


フンっ!<(`^´)>
変わっているのは事実としても、モノには「言い様」ってもんが有る。

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スローフードの王様であり、発酵界のレディGaGaとも言われる日本の誇る伝統食「ぬか漬け」なのだ!

元亀2年9月12日(1571年9月30日)、織田信長が「比叡山延暦寺」に焼き討を掛け、「経」の一文字に到るまで、その悉くを破壊し、焼き尽くした。


大量虐殺に興奮した信長は、自らの手で仏像を打ち砕いて回ったという。


その光景を見た明智光秀が『殿、お止めくだされ!神仏に御座りまするぞぉ~』と諫めるや、信長はキョトンとした顔をして光秀を振り返り『これが神仏・・・? 光秀、これは木じゃ』と言ったとか。( ゚Д゚)


ぬか漬けと信長を無理矢理同じ土俵に上げるのは些か気が引けるが、信長様ぁ~、もうちょっとやり方、言い方考えんと、恨みを買いまっせ~
え、もう居ない?・・・そうでっかぁ~ (´Д`)

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「六天魔王」こと織田信長比叡山では4000人の首を刎ねたともいう。まさに悪鬼の所業である。


昨晩、なんと首都圏に「4度目の緊急事態宣言」が発令された。

また、同時にこの地域で行われるオリンピック競技の「無観客開催」が決定した。

1896 年ギリシャアテネに於いて第1回近代オリンピックが開催されて以来、夏季32回、冬季24回の歴史の中で初めての経験である。


「世紀の貧乏くじ」まさに「泣きっ面に蜂」である。


そんな折も折、「西村康稔・経済再生担当大臣」が記者会見に於いて、『緊急宣言下で酒類の提供を続ける飲食店に対しては、「取引先金融機関」からの働きかけを要請する』と宣ったのである。


いかな法律に基づいた「命令」とは言え、取引先銀行を通じて『お前んとこ、融資引き上げるかんねぇ~』と脅しを掛けたという事である。
融資引き上げとは、企業の「兵糧」を断つことである。


空恐ろしい事言いまんなぁ~。
その物言いは、申し訳ないとか、心苦しいとかの、「配慮」というものが微塵も感じられへんのよぉ・・・。
西村様ぁ~、もうちょっと言い方考えんと、恨みを買いまっせ~(´Д`)

国民はしっかりあなたの心底を見届けましたよぉ~。

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西村大臣、「国民の意」を汲むことなく経済再生が出来るとお思いか?

今日の幸せ


毎度の幕末ネタで恐縮だが、江戸末期、「一刀正伝無刀流」の開祖「山岡鉄舟(てっしゅう)」という鋼の精神を持った剣客が居た。

あの維新三傑西郷隆盛をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る」と言わせたのが山岡鉄舟とされている。


鉄舟はもともと勤王の志士であったが、勝海舟からその高潔なる人物を見込まれ、「徳川慶喜」の天皇への「恭順の意」を伝える為、1868年(慶応4年=明治元年)3月、官軍を率いて江戸に迫る総大将、西郷と駿府静岡市)で最初の直談判に臨んだ。

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「維新三舟」と言われる山岡鉄舟 その高潔なる生き様を貫いた鋼の男 


屯所の門前で衛兵に氏素性を問われるや、『逆賊、徳川慶喜が家来、山岡鉄舟』と名乗ったという。


西郷から、江戸総攻撃を回避するための厳しい諸条件を突き付けられる中、それまで俯いて聞いていた鉄舟が、頬に伝う涙を拭おうともせずにこう言った。


『あるじを守ってこその武士』

『立場が違ったら如何する?いま貴殿が逆の立場にあったとしたら、その一命を賭してでも島津公をお守りするであろう』

『それが武士・・・それが侍であろう』と。


西郷は「始末に困る人でなければ、共に天下の大事を誓い合うわけにはいきもはん」と鉄舟を高く評価したという。


維新後に西郷は請うて、この剣・禅・書に通じた無私無欲の侍、山岡鉄舟を「明治天皇の教育係」に任じたのである。💛


山岡鉄舟、享年51歳の早逝であった。
『しばらく人払いをしてくれんか・・. 昼寝の邪魔になるから』. と言って一同を別室に退席させると、皇居に向かって一礼し「結跏趺坐」して果てたという。



「人は言葉で死に、言葉によって生かされる」



どこかの国のお大臣様、肝に銘じてくだされや!




忘却無用!

我利我利の考察


夏は「ガリガリ君」が旨い。

ガリガリ君と言えば、ご存知埼玉の星「赤城乳業」が製造する、氷菓界の巨人である。


さまざまな味のバリエーションを揃えながらも、いまだに一本70円という価格を維持し、国民の負託に応えようという「公の心」を宿した「君子」でもある。


発売から30年、年間の販売本数は「4億8千万本」。
なんと国民一人当たり年間「4本」を口にしている、まさに日本の夏を象徴する「国民食」と言えよう。



ガリガリ」と書くと、とても爽やかな話題となるが
「我利我利」と漢字をあてた途端に、にわかに風向きが怪しくなるから不思議である。


この我利我利は、後に「亡者」を従え、『他人の事はお構いなく自己の利益だけを求める人』を指す言葉となる。

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夏はガリガリ、冬はネギ。渋沢栄一の故郷深谷市は美味いものあるっぺよ~


「我利我利亡者」と言えば、先頃中國共産党が「結党100周年」を迎えたらしい。

らしいが・・・個人的にこれといった感慨はない。



感慨どころか、このはた迷惑な隣人の「所業」には不快感のみが募る。
この方たち、自国の利益に繋がるとなれば、手段は選ばない。



孔子学院」による他国での思想教育から始まり、「1000人計画」、「香港弾圧」、「チベット征服」、「新疆ウイグルの弾圧」、「インド国境浸食」と四方八方に手足を伸ばし、世界中に「はた迷惑」と「粗悪な製品」を巻き散らかすことに余念がない。



ついでに「台湾統一」は共産党の「使命」だそうで、自分勝手もここまで来ると空恐ろしい。

勝手に使命感を持たれた台湾人はオチオチ寝てもいられないのである。( ゚Д゚)


日本政府も手をこまねいてないで、結党100周年のお祝いにガリガリ君でも送り付け、「公共」の何たるかを示して欲しいものである。



しかし、相手は14億。
一人1本ずつ配っても日本の消費量の3年分。
ったく、どこまで行っても我利我利だわい (´Д`)


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世界の中心はオイラ達という我利我利の「中華思想」。もう中心でも何でも良いから、こっちへ来んといてやぁ~

今日の幸せ

Prim Videoで「Fukushima 50」を観た。
勿論、映画には賛否両論ある。


人物の描き方は視点を何処に定めるかにより、大きく変わって来よう。
あの人が良くて、この人が悪いという勧善懲悪のヒーローものでも無い。


しかし、我々にはこの映画を見る必要が有る。


東京電力福島第一原子力発電所」で起こった、日本史上三度目の「被爆体験」を忘れない為にも。


全基が水蒸気爆発してしまったら、日本の半分が人の住めない焦土と化すという極限の中、最後まで残った69名の関係者たちがどのように振舞ったかを知る為にも・・・。


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東京電力福島第一原子力発電所。ここで生み出される電力は全て東京で消費される事を忘れてはならない。


「2011年3月11日 15時」、関東大震災の45倍というエネルギーを放出した日本海溝のプレートの沈み込みが、高さ「15メートル」の津波となって福島第一原発を襲った。


制御するための全ての電源を喪失し、暴走する「原子炉」。


指揮を執った発電所所長「吉田昌郎」は、69名の技師達を前に「一緒に死んでくれ」と要請し、原子炉格納庫に突入するための「究極の人選」が始まる。


家族に遺書を残し、灼熱高濃度の放射線渦巻く、漆黒の死地に赴いたベテラン技師達の思いを共有するだけでも、この映画に触れる価値が有る。



我利我利の対極にあるのは、「自利利他」という概念である。


家族、肉親、地域住民、広くは日本国民を守らねばならないという、想像を絶するプレッシャーの中、「大義」の為に払われた69の自己犠牲。

私は「Fukushima 50」の中に、自己の利益のためでなく、他の人々の 救済 のために尽くす「利他の心」を見た💛


嵐のような「毀誉褒貶」の中、吉田所長は事故から2年後、全身癌により「58歳」という若さでこの世を去った。


あの時に、彼等が居なかったら、我々に今の生活が有るのだろうか?


世界が震撼したあの日々を冷静に思い返す時、我々から「福島」に対して届けるべき言葉は、今も、この先の未来も、尚ここに帰結するのである・・・・・・・『ありがとうございました』



今年で東日本大震災から10年の節目を迎えたが、尚、心の傷は深く、映画を観るのも複雑な思いである。


福島の復興を心より願いつつ、東日本大震災の犠牲となった「22,303名」のご家族様をはじめ、関係者皆々様に改めて、衷心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り致します。  合掌


穴が有ったら入ってなさい!

劣化の考察


「劣化」が止まらない
まさに大崩落である。


また訳の分からない事を言い出したと訝(いぶか)る諸兄の前に、間もなく「猛烈劣化」の正体が明かされる。



長きにわたり日本の行政を支えてきた、優秀な公務員諸氏であるが、ここに来て「King Of 公務員」とも言える「キャリア官僚」の劣化が止まらないのである。

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1936年に建立された国会議事堂 「伏魔殿」かはたまた「希望の府」か。


本日、事もあろうに立法府の総本山である「国会議事堂」内の女性用トイレで「盗撮」に及んだ容疑により、20歳代の経済産業省官僚が逮捕された。



国会議事堂でねぇ・・?(´Д`)
世の中には色々な趣味人がいるものだと半ば感心していた矢先に、今度は「家賃支援給付金」不正受給の詐欺容疑で、これまた20歳代のキャリア官僚2名が逮捕されたのだ。



家賃支援金と言えば、コロナ経済対策として「経済産業省が主管」していた制度のはず。

まさに「仁義なき戦い」・・・開いた口が塞がらないとはこのことである。



この経済産業省の見事なワンツウ・フィニッシュにより、国民は完全にノックアウトされてしまった。



しかし、いくら強烈なパンチとは言え、我々はここで「記憶」を飛ばしている場合ではないのだ。



シッカリと目を見開き、更なる「巨悪」を追い詰めねばならない。



ここで膝を打ち、「おお、あいつの事か・・・」と大きくうなずいたそこのあなた、かなりの「政治通」と見ましたが如何でしょうか?

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「憲政史に残る大汚点」の登場人物を忘れてはならない。ー写真日経新聞より


その小柄な巨悪は「King Of 省庁」である財務省「理財局」に居た。



「公文書」は公務員たる者の「存在の証」である。


公務員が職務上作成した文書は、国の歴史、行政の履歴である。


その国家・国民の財産が「特定の人間への利益誘導」の為に「改ざん」され「廃棄」されていたという事実は極めて重い。



しかも、この理財局長は処罰されるどころか、部下への公文書改ざん及び廃棄「命令」のご褒美に「国税庁長官」という一生食うに困らないポジションを与えられた事は、まだ諸兄の記憶に新しい事と思う。



ご丁寧にもこの御仁、新国税庁長官として「日本税理士会」の新年賀詞交換会に登壇し、「エビデンスの保管が最も大切、しっかり国民を指導して欲しいんだよねぇ~」と大演説をうったというから恐れ入る。( ゚Д゚)/



当世の芸人でもこんなジョークは言えまい。
もぉ~、笑ってしまうが、泣きたい気分ですわ!



往時の行政府首相様ァ~!
「マリオ」の衣装を恥ずかしがるより、ここまで国を貶めた事を恥じなさ~い。(´Д`)

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誰が言ったか「アベ・マリオ」もう30秒衣装を着けていれば男を上げられたのに

今日の幸せ

上にへつらい、下には強面(こわもて)
どうして、世界に冠たる行政能力を誇った我が国の官僚たちが、ここまで劣化してしまったのだろうか・・・謎は深まる一方である。


こんな時はジャージに着替え「何でだろう~、何でだろう~」と踊ってみようかしらん。


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地方戦を勝ち抜いた若人達が堂々の行進。 あの苦しい日々はこの日の為に有った


いまや私利私欲にまみれた人たちにも、「青雲の志」を抱いた日々が有っただろうに・・・。



雲は湧き 光あふれて
天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは 歓呼に答え
潔し 微笑む希望
ああ 栄冠は 君に輝く ♬



ご存知、夏季甲子園大会の行進曲「栄冠は君に輝く」の歌詞である


溌溂と、ひた向きに白球を追う球児の姿が目に浮かび、何とも清々しい気分になる。


若者は良い。(#^^#)

誰におもねる事も、へつらうことも無い。
いま居る環境や境遇を嘆き、可能性に蓋をすることは無い。


先は長い。
今からでも、自分の意志で何者にでも成れるんだ。


小さな陣地で良い。
若者が、ひたすらに白球を追う球児のように生きる事が、劣化したこの国をもう一度輝かせる「鍵」になるように思う。



最澄」は言った。

『一隅を照らす、即ちこれ国宝なり』と💛



「この国に生まれて本当に幸せだった」と言い切れる、そんな未来を君たちに託したい。

ヨロシク、そして、ありがとう。



深ぁ~い話

化石は生きていた

ちょっと強面で、見方によっては「グロ」い。

生きた化石」と呼ばれる絶滅危惧種は数々あれど、滅多にお目に掛れない、東の正横綱に「シーラカンス」がいる。


「古代デボン紀」に現れ、世界中の淡水域や河口などの汽水域において大繁栄を遂げた魚類で、比較的多く出土する化石によりその存在は知られていた。

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世紀の大発見とされたシーラカンス。現在の住環境が安定し過ぎていたため殆ど進化の形跡がない。まさに「生きた化石」である。


猛きものついには滅びぬ・・・6500万年前の隕石落下による「生物大量絶滅」と時を同じくして、古代の地層からその姿を消した。



ところが「1938年」、長らく絶滅したものと考えられていたシーラカンスが、南アフリカの北東海岸「チャルムナ川沖」にて偶然捕獲され、その生存が確認された。


捕獲時には刺し網に掛かり、まだ口をパクパクさせていたようだが「ご無沙汰しました」と言ったかどうかは定かではない。


捜査関係者が現住所を尋ねると、虫の息ながら「水深200m前後の深海域に引越した」と答えたきり、息を引き取ったという。


シーラカンスは生息する場所が場所だけに、その生態は謎に包まれているが、成魚となるまでに、メスは約65年、オスは70年もかかり、ウロコにある年輪から推定できる寿命は、なんと100年だという。


妊娠期間は約4年、体内でふ化させてから稚魚を生む「卵胎生」である。


独特の胸ビレは、かつて陸上を目指した名残か、四つ足歩行動物のように交互に動き、退化したとはいえ「肺」の痕跡がある。


大型種になると体長6mに及ぶというから、まさに「恐竜」である。


海中でこんな生き物とだけは遭遇しないよう強く願いたい。

あ~怖い怖い (´Д`)/


今日の幸せ


読者諸兄にいきなりの質問で恐縮だが、「お風呂に飛び込んだら、下の方はまだ水だった」などという経験はないだろうか?

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記事とは左程の関係は無いが「早く温泉にでも行きたいなぁ~」(´Д`)

「君は一体いつの時代の話をしているんだ?」とのお𠮟りを受けそうだが、まだ温感センサーなどとは縁遠かった私の幼少期には、日常的に起こっていた事象である。


お風呂の水がそうであるように、「温かい水は上部」に集まり、「冷たい水は下」に行く。


この温度差による「循環」の性質を利用してお湯を沸かすため、風呂の焚口は下部に付いている訳である。


今更こんなことを鼻息荒くして説明するまでも無いのだが・・・。"(-""-)"



では再び問う。
「なぜ氷は上から張る」のであろうか?


ここは「藤井聡太棋聖」張りの「長考」をして頂きたいところである。

冷たくなったものは下へ行くはずでは( ゚Д゚)?
理屈から言えば、氷はより冷たい下側から張るのが正しい張り方と言える。


さて、ここからが「深ぁ~い話」になって行くのである。


ある基準を設け、それよりも「軽いものは上へ」、「重たいものは下へ」行く。
私の住む村では、これを「比重」などと呼んでいる。


水の場合には、「4℃が基準値で1.000」となっていて、摂氏0℃の水は比重「0.99987 」で、4℃の水よりも軽いのである。


これを聞いて、痛いほどに膝を叩いたそこのあなた、かなりの「賢人」と見ましたが如何でしょうか?


早い話が
水中の「一番深いところには4℃の水が溜まる」という事なのだ!(-ω-)/

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まさに神の足跡「諏訪湖御神渡り」生物は天の配材により厳冬下を生き延びる

これこそ生き物に与えられし「天の配材」

湖が全面氷に覆われても最深部にさえ集まれば、魚たちは凍り付くこと無く、越冬することが出来るのだ。


「万物は大いなるものにより生かされている」と思う瞬間である。


深いと言えば、世界で最も深い谷「マリアナ海溝」は10,920mもの深度がある。
その水圧と来たら109.2Mpa(メガパスカル)という凄まじいものである。



七つの海の「平均深度は3,729m」で、シーラカンスの棲む「深海」と呼ばれる水深200m以上の場所は、海の「全面積の80%」を超える。


多少暗くて水圧が高かろうと、裸体で暮らす彼らにとっては、環境が安定した深海こそが、種の保存に適した「安住の地」であったに違いない。


6500万年の時を超え、現代に蘇ったシーラカンスはまさに「時の旅人」


人間という「獰猛で利己的なサル」は、今日も何処かで木を切り倒し、電気を浪費し、廃棄物を投棄する。


私達は「古代からのメッセンジャー」として、今こそ彼らの声に耳を傾けなければならない。💛


シーラカンスよ、ありがとう。 長生きしてくれ!